多逢聖因 縁尋機妙 (たほうしょういん・えんじんきみょう)

伊藤 和良

<経営課題と真摯に向き合う>

私はいま、金融機関の職員として、毎日、中小企業現場を歩いている。長らく川崎市の経済行政に関わり定年となった後に入社させていただいたものである。

私のミッションは、リレーション・シップ・バンキングとしての、各支店の活動を支援することであり、各支店から推薦された企業の経営課題と真っすぐに向き合うことである。

平成28年度、まずは49ある支店から2社ずつ対象企業の推薦をいただき、そのすべてを訪問することとした。前もって支店長や営業担当と打ち合わせを行い、一人ひとりの経営者と真摯に向き合う。経営課題を丁寧にお聞きし、各支店と共にあるべき支援内容を考えていく。現在は3巡目となり、各支店とも顔の見える関係となった。

<多逢聖因 縁尋機妙>

そんな尋ね歩きの日々、ある経営者から、私との出会いが新たな事業展開につながったと感謝の言葉をいただくと共に、「多逢聖因 縁尋機妙」という座右の銘を教えていただく。

「様々な出会いが、新たな事業の展開を促し、新しい扉を開くことにつながる。その様は、喜ばしき妙なるもの」と。

<出るも地獄、残るも地獄>

私はこれまで20年以上にわたり、中小企業の経営者の皆様に育てられてきた。

振り返れば90年代、バブル経済崩壊後の超円高不況、市内の多くの中小企業が、親企業の要請で、工場の海外移転を余儀なくされた。ある経営者は、「出るも地獄、残るも地獄」そんな言葉を残しながら、中国広東省東莞へと旅立たれた。若き日の私は矢も楯もたまらず、有給休暇を使い自費で、後を追った。

その時に語られた、経営者としての深い悲しみ、そして新たな天地で必死に生きようとする、激しく熱い思いを合わせ学んだ。

<「ものづくり機能空洞化対策研究会」>

中国から戻った私は、川崎市職員の若き仲間と共に「ものづくり機能空洞化対策研究会」をたちあげ、毎週1回、金曜日の朝7時からの学習会を継続した。川崎市臨海部の工業集積から、久地・宇奈根・下野毛といった準工業地帯などを時間の許す限り歩き回り、毎週の学習の場で、各々が出会った中小企業の皆様の現況と課題を語り合った。

次の言葉をいただいたのも、当時のことである。

「伊藤さんわかるか、今日の飯、明日の飯のこと。俺たち経営者は今月の従業員の給料を支払うために金策に歩く。嫌だけれど銀行にだって頭を下げる。それは【今日の飯】を稼ぐためだ。そして、企業はゴーイングコンサーン。常に新たな道を探し苦悩する。それは【明日の飯】を得るためだ」

学習会は毎週1回、13年間、通算で800回、私が部長となるまで続いた。それは、ある経営者からの次の言葉からである。

「若い皆さんの情熱はわかる。ただ、役人はみんな2年から3年もすればいなくなる。俺たちはずっとこの地で生きていくんだ。もし、君たちが10年、500回継続したら認めてやる」

それらが今もつながる、私の原動力である。

<川崎モデル>

そして、引き続くひた向きな努力は【藤沢久美さん】の筆力により一冊の書【なぜ、川崎モデルはなぜ成功したのか?中小企業支援にイノベーションを起こした川崎市役所(実業之日本社、2014年)】となり、私自身が府省庁の委員に招かれたり、各自治体の視察が続いたりするなかで、人口に膾炙され、私たちの取組は【川崎モデル】として、全国から注目されるようになった。

<中小企業診断士、社会保険労務士として>

秋霜烈日、冷たい霜や激しい日差しの中も、日々、中小企業現場を尋ね歩く。

本日は、どのような業態の企業、どのような素敵な経営者にお会いできるのだろう。幸いにして、社会保険労務士に加えて、中小企業診断士の資格も得ることができた。事業承継、販路拡大など、各中小企業の抱える課題は幅広く深い。

金融機関の職員として、地を這う日々の努力が、中小企業振興の一助になることを期待する。

(いとう・かずよし)

 

 

 

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