株式会社スタックス 星野妃世子会長 インタビュー

中小企業診断士 関根 清一

1.諸団体との関わりの始まり

いくつかの団体で活動をしており、いろいろな役割をしてきています。まず、中原工場協同組合、次に中原工場協会に入会しました。先代を引き継ぎました。先代に「外回りを行ってこい」と言われ、参加するようになりました。 行政関係も含めた外向きの仕事で、私が参加すると、女性なので目立つところもあり、意見を求められるなど、会での存在感が増していったのではないかと思います。

2.川崎市青年工業経営研究会へ

それから、川崎市経済労働局が事務局をしている川崎市青年工業経営研究会に参加しました。第2水曜日に会合を開くので二水会と呼ばれています。就業規則改定の際に、その会で工業診断を受けたのが、入会のきっかけとなりました。そこは、川崎市内に工場や拠点がある製造業の会社の集まりです。私が会長職をやったあと、息子が入りました。そこでは60歳定年があり、今は名誉会員です。

3.神奈川県中小企業家同友会での活動

次に入ったのが神奈川県中小企業家同友会になります。当時は、川崎全体の大きな支部で、そこで支部長も務めました。その後、政策委員会の委員長になりました。同友会は全国47都道府県で中小企業活性化条例を推進しています。川崎市で条例をつくる際に、同友会から私が条例制定検討会のメンバーになりました。また、条例を協議する委員会とそれを評価する専門部会と両方の会の評議員としても参加しました。川崎支部は現在、川崎支部(南部2区)とたま田園支部(北部5区)に分かれています。そのたま田園支部の支部長を今年からしております。今期、私が掲げたスローガンは「楽しく学んで、気づいて動く、ワークライフバランスを実現しよう」です。経営者自身のワークライフバランスです。また、たま田園支部と同友会の他支部との連携や会外の諸団体とつながりを図っていければと考えています。同友会の理念に、学びとか気づきの仲間づくりがあって、それをもとに企業づくりができるというのがあります。出会により、気づきのページ数を増やし、会社のページ数を増やすことができます。来年2025年7月に中小企業家同友会全国協議会の定時総会が神奈川県で開催されるので、今その準備をしています。

4.川崎中原工場協会の女性活躍推進委員長から総務委員会委員長へ

川崎中原工場協会では、女性活躍推進委員会の発足時に、委員長として関わりました。女性活躍推進委員は何かというところからスタートを切りました。中小の零細企業で女性がもっと活躍できる環境をつくって行きましょうという旗振り役です。今は総務委員会の委員長をしています。これまで、なあなあで行われてきたこと、例えば役員選出など、規定を決めるなどシステム的に運営する必要があると考えています。

5.横浜IoT協同組合での成約実績づくり

横浜IoT協同組合では、去年から私が理事長になりました。そこでは、現在、2つの活動をしています。1つは、製造業の会社の生産管理のお手伝いです。もう1つは、小田原の川田製作所が、アプリを使って労務管理、生産管理などを行なっており、それを中小企業の皆さんに知っていただくというセミナーを開催しています。その動画作成もしています。組合としての成約実績を積み上げています。

6.ダイバーシティーサポートかわさきでの活動

ダイバーシティーサポートかわさきは、引きこもりも障害者も女性も高齢者も皆さんが活躍できる環境づくり、場所づくりをしていこうという団体です。副理事長として動いています。ここでは、3つの活動内容があります。1つは引きこもりなどの方々の就労支援、2つ目は、受け入れ企業探しや、企業連携などのサポート事業、3つ目は、調査・研究、政策提言や情報発信をしていくというものです。私は3つ目の事業に携わっています。 そのほか、4月からある会社で社員にダイバーシティを理解してもらうためのセミナーを始めました。だんだんと皆さんが変わってきているのが、社員アンケートにも表れています。

7.諸団体での活動で得たこと

いろいろな経営者さんに会うことができたのは面白かったし、失敗談、成功談をお聞きし、そういった経験があって、今があるのだなと気づきました。二水会では、社内で困ったことや今年の賞与などざっくばらんに話をさせていただくことができました。同友会は、さらに経営のなんたるかを深めたいなと思い入会しました。討論して、結論を出さなくても、その中で気づいたものを会社に持ち帰って、いろんなことを社員に話したり、やってみたりすることができます。中原工場協会では、異業種交流なので、製造業は製造業の考え方があり、他の業種だと全く違う考え方を持つのだと感じました。他の諸団体でも会によりいろいろなカラーがあり、そこでの気づきがうまく活かされているのだと思います。 いろいろなところで勉強させていただいて、大変でしたけど、よかったなと思っています。

8.会社経営のこれまで

1)専務時代に

私は小さい頃から後を継ぐものと思っていました。ただ、結婚の際に、養子縁組をしたので主人が経営を継ぐものと考えていました。それが、上の子どもが3歳、下の子が2歳になる直前に急逝してしまい、急遽、私が専務になりました。専務の時に、就業規則改定、営業活動、経理、人事、金融機関折衝などさまざまな職務を担いました。私の仕事は総合職です。先代からは、「金融関係にいい時ばかり行くな、悪い時も行って、自分がこうしたいというビジョンを話してこい」と言われたのが記憶に残っています。

2)社長になる

社長になるきっかけです。メインのお客様からのコストダウン要請をお断りした瞬間、無理ならば撤退してくださいと言われました。半分の仕事が減ってしまうということもあり、人員削減、新潟での営業の梃入れなどを社長に進言したところ、「そうしたらお前やれ」となりました。

3)事業承継と技術継承、現在の職務

弊社の定年は65歳です。私が65歳になるタイミングでの事業承継を考え、5年計画で動いていました。段取りなど、社長と私との間はそんなに違和感がありませんでした。彼自身がやっていることを専務時代から見ていたので、大丈夫だと思っています。また、技術継承ですが、65歳定年になる方にも働く時間を短くしたり、普通に働いてもらったりして残っていただき、技術力を伝えてもらっています。 現在、私は会長職ですが、環境管理責任者と品質管理責任者として、両方の責任を持ち、給与関係の総務を一切しています。

4)スタックスという名前

弊社のスタートは湯薬を扱うエッキス製薬株式会社です。そこに板金を併設し、大星工業と名称変更しました。エッキスという名前は先代のこだわりがあり、星(スター)とエッキスをかて、スタックスとしました。スタックという言葉には一歩ずつ登っていくという意味合いもあります。

9.障害者雇用に向けて

同友会の障害者全国大会が神奈川であり、そこで障害者雇用は特別なことではなく、我々の仲間として受け入れると、我々自身が変わり、自分たちの働き方を変えられるということに気づきました。例えば、重たい荷物を持つことなど、女性や障害者の方でも治具を使うなど、工夫すればできるようになります。そういった工夫で我々自身も楽になります。また、社内でコミュニケーションがすごく少なくなった時がありました。そのどんよりとした雰囲気を変えたいなという思いがありました。障害者雇用は会社全体で見守るというスタンスが大切です。そのため、障害者の方々と働くというのはどういうことかという社内勉強会を2回開きました。そのうち、彼らがどうゆうことでパニックになるかがわかって来て、危ないなと感じた場合、周りが、ちょっと休んでと言えたりしています。そういう学び、経験から障害者雇用に対して、本社の社員の気持ちが変わっていきました。そうして、コミュニケーションの取り方がすごく上手になりました。

10.障害者雇用のこれまで

これまで、最初に雇用した耳の不自由な方は、コミュニケーションの問題で辞め、そのあと、鬱の方は、周りの人間があれもこれもと教えて、本人がパニックになることなどがあり、辞められました。障害者雇用をするのに向き合いが足りませんでした。それから、川崎市経済労働局労働雇用部にお願いし、身体障害の方が入りました。アイデアマンで性格も明るい方でしたが、ご病気されてお辞めになりました。その後、ダンウェイから一人入ってもらいました。今年で6年目ですが、5年目に正社員になりました。最初、梱包、包装、出荷のところでああゆう人になりたいと思った先輩から仕事を学び、今は検査の仕事をしており、非常に助かっています。ミツトヨの検査のセミナーにも参加しました。彼らの目線はすごいのです。切り取りがきちんとできていて、例えば、同じ箇所に10何箇所タップを切るものがあり、その100個の品物検査で、1箇所でもタップ切っていないものがあると、それを見つけることができるのです。お客さまの信頼を合致させてくれています。

11.障害者雇用の意識の変化

今の社長は専務時代に、何で障害者雇用をするのか、ボランティアなのだから大手企業に任せておけばいいのではないか、という考え方でした。ですが、彼らの特性、能力を知ってから、今私より障害者雇用に熱心です。もにすマーク(厚労省の障害者雇用に関する優良な中小事業主に対する認定制度)を取ったのは今の社長です。

12.社員が障害を持つようになって

うちの営業で働いていた方が、病気が悪化して、足を切断しました。弊社の社長は彼の営業手腕をすごく買っていたので、復活してくださいと言いました。彼はその後、働こうという前向きな意識のもと、ICが入っている義足にして、リハビリを頑張って、車を直して、免許も替えて、営業として復活しています。 お客様のところはバリアフリーではないですし、段差もありますが、車を運転して納品に行っています。私が失ってしまったお客様を心配して、取り戻したいと営業活動をしています。社内にいる人間が身体障害者となった後も働き続けるということは、初めての経験でしたが、すごく勉強になりました。

13.川崎の好きなところ

川崎の好きなところは、行政の中小企業に対する手厚さです。本当に中小企業が何かやりたいというと必ず向いてくれるのです。おせっかいをするというスタンスを持っています。

14.川崎中小企業診断士会に期待すること

できれば賛助会員でもいいのですが、諸団体に入っていただいて、企業さんと知り合い、出会い、中小企業の現状を知っていただければと思います。そうすれば、こんな支援ができるのではないかということも見えてくるのではないでしょうか。

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